「卒業写真」の様な存在の植物(後半)
2021.05.18 Tuesday
さてさて。
前回の続きです。
「卒業写真」の様な存在の植物(前半)はこちら↓
http://kikyo-forest.jugem.jp/?eid=77
ニセアカシアを身近に感じることができる様になり
いよいよ当時20歳の私は
神奈川県伊勢原市にあった
山の中に佇む園芸科の学校を卒業します。
そして東京の大都会の中で
社会人として働き始めたのでした。
雄大な山々を眺める自然豊かな場所で
植物や動物や気の合う友人たちと
2年間どっぷり暮らしていた私にとって
「社会に出る」ということは
いろいろな面で衝撃的なことばかりでした。
あれから約30年。
楽しいことや嬉しいこと、幸せなこともたくさんありましたが
辛いことや悲しいこともたくさん経験してきたように思います。
ところで。
ニセアカシアの花言葉は
Tender Heart
直訳すると
「優しい心」
でした。
実は、卒業の時にこの花をもらった時には
自分が優しい心を持っているなんて、まったく思えませんでした。
学校の中では、特別に目立つわけでもない存在だった私です。
どちらかというと地味な存在だったので
「あなたはこんな感じね」
って感じでこの花と花言葉をくれたのではないかと・・・
まったく素直でない私は
なんとなくそう思っていました。
でも、あれから
何度も何度も毎年、春が来るたびに
いろいろなところで白い花を咲かせている
ニセアカシアに出会いました。
花が咲いていない時期のニセアカシアは
ほとんど存在感がありません。
いつもは他の樹木の緑の中に混じっていて気づかないのですが
花が咲いている春の時期だけは
そこだけ白い光が差しているかの様に
ニセアカシアが浮かび上がっているのです。
いつもいつも
春にニセアカシアと出会うたびに
ハッとさせられました。
今の私は
優しい心を持っているのだろうかと。
人に対して。
自分に対して。
そして私を取り巻く世界のすべてのものに対して。
そして
通勤中の朝、暗い気持ちで電車に乗っている時にも
失敗して落ちこんでいる時にも
自分の進むべき道に進んでいるのかどうか悩んでいる時にも
なんとなく後ろめたい様なことをしている時にも
怖くて前に進めない時も
比較的に物事がうまくいっていて、いい気になっている時にも
もうこの世からいなくなりたいと思えるほどつらい時にも
ニセアカシアは無言で白い花を揺らせて
上からいつも静かに私を見ていました。
まさにユーミンの「卒業写真」の歌詞のように
「人ごみに流されて変わってゆく私」を
静かに叱ってくれたり
励ましてくれたりして
ずっとそばに寄り添ってくれてきたように思います。
きっと、私が学校から頂いた
Tender heart という花言葉は
卒業の時の私のイメージでもらったものではなく
これからの人生の中で
この言葉を胸に抱いて生きていきなさいという
学校からの贈る言葉だったのではないかと
思うようになりました。
そして卒業してから約20年後のある日。
私は乳がんと宣告され
突如として
「がん治療」という怒涛のような大きな波に
飲み込まれていくことになりました。
半年以上にわたる抗がん剤治療を受けるために
毎回毎回、心身ともにフラフラになりながら歩いていった
病院への直通バスがやって来る停留所の横にも
何本ものニセアカシアがありました。
思っていたよりも抗がん剤治療がキツくてキツくて
病院に行く時にはいつも
もう治療をやめますって先生に言おう。
もう嫌ですって今日こそ言おう。
誰に何を言われてもやめるって言おう。
停留所でバスを待っている間
半分心の中で泣きながら
いつもそう思っていたことを今でも思い出します。
その時もニセアカシアは
上から優しい風を吹かせながら
私を暖かく包み込み
そっと病院へと背中を押してくれていたのではないかと
今でも思っています。
↓敬愛する友人「植物屋おーちゃん」さんが撮った、珍しいピンクのニセアカシア